論理国語と文学国語の選択制にするという、愚策

誰かが、日本人の知性と感性を貶めようとしているとしか思えない愚策。子どもを、日本の未来を潰そうとしているとしか思えない。というか、子どもをバカにしているのだろうか。

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ミスターK@arapanman氏のツイッター、 及び文藝春秋の記事掲載(10月27日)

文藝春秋11月号。大学入試の国語に記述式が加わるが、読まされるのは駐車場の契約書などで、高校の国語は高2高3は「文学国語」か「論理国語」のどちらかしか選択できなくなる、入試を考えてほとんどの高校が「論理国語」を選択するだろうと。高校から文学作品が消えようとしてる。亡国まっしぐら。

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https://pbs.twimg.com/media/DqfN66pWkAAHkU0?format=jpg

#論理国語

#文学国語

#日本人の知性と感性

#日本の教育

「お手伝い」で育つ、子どものちから。

出会って来た子ども達の中で、「この子は生活力が高いなあ」とか、「人のためにさっと動ける(フットワークの軽い)子だなあ」(←自分がそうじゃないのでこういう子は尊敬してしまいます😅)と思った子は、おうちの人に聞くとたいてい「お手伝いをよくしてくれる」と言っていることが多かったのです。


なぜなのかなあ…と考えてみると…。


お母さん(やお父さん)のしている作業を見ることなくいつも過ごしていると、例えばそれが料理だったら「料理は待って入れば出てくるもの」という姿勢のまま、大人になってしまいます。


すると、その大変さに気づくことができず(=周りで困っている状況に気付きにくい)、「手伝ってあげよう!」という行動が習慣として身につきにくくなってしまう(=人のためにさっと動きにくい、フットワークが重い)のではないかなあ、と私は思いました。


でも、そんなことを考えなくても、子どものお手伝いには学びと発見がいっぱいだなあと思います😃



例えば、一枚めの写真(娘がお手伝いを始めたころ、1歳3ヶ月)。空豆をさやから出す作業なのですが、さやにお豆が入っているということは、子どもにとって大きな発見です😃

また、知育玩具などなくとも、指先の巧緻性は、こうした作業を通じて育まれていくことでしょう。

(娘は、出したお豆をまたさやに入れたりしています^_^ )


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お手伝いをさせないで、大人がやったほうがもちろん早いのですが、そこは「待って、一緒に、楽しむ。」ことで、大切な時間が生まれると思います😊


1歳7ヶ月のいま。指先が発達してきて、玉ねぎの皮むきも、ホットケーキまぜまぜもしてくれるようになりました。

夫が『しろくまちゃんのほっとけーき』の絵本の、同じ作業をしているページを読んで見せると、娘もうれしそう✨

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ちなみに、お母さんが手際が良くて、チャキチャキ、何でも早くこなせる人だと、子どもがお手伝いをする機会ができなくて、あまり自分で動けない子になる可能性もがあるなあ、と実感していたりもします(ハイ、そういうお母さんと子、それはウチの母と私です😅 私、もっと手際良い人、動ける人になりたい…😭)。

「ネイティブ・マインド」

ネイティブ・アメリカンの教えに「七の七代先の子孫のことを考えて行動しなさい」というものがあります。

自分の今の快楽を追い求めるのではなく、ずっと未来の子ども達のことを考えたらどんな行動を、今、自分はするのか?というのが、この教えの根本精神です。
中学生の頃、ネイティブアメリカンナバホ族居留地を訪れたことをきっかけに、彼等の思想に関する書物を多く読んで、この教えに心を打ち抜かれました。
子ども達の未来のこと、これから生きる人たちのこと…考えてたら、今の自分の考えや行動をちゃんと表していかなきゃいけないなぁ、と、勝手な使命感に燃えて、このブログを開設してみました^^;

どんなブログになるのかは、自分でもわかりません。

関心があることは、教育、美術、歴史、環境、読書、宇宙…。
すべてのものはつながっていることを心に留めて、書き記していきたいと思います。
たくさんの愛をこめて。
akisa

☆「ネイティブ・マインド」という言葉は、ネイティブアメリカンの精神を日本に紹介した草分けでもある、北山耕平さんの本の題名にインスパイアされてお借りしました。